日本語教師の資格をとって転職

50代後半男性(U.Hさん)の転職体験談
【トピックス】
1.2012年1月まで東京で地方公務員
2.中国に6年間在住
3.今飛び込まなければチャンスは2度とない
4.公務員のときには想像もしていなかった世界
5.日本語教師は穴場
私は2012年1月まで東京で地方公務員をしていました。
大学卒業から21年間、ずっとです。
ところがその年の3月には中国北京へ飛び立ちました。
現地の(つまり中国の!)雑誌社でライターおよび編集者として働くためでした。
日本から中国へ公務員事務職からライターへ。
「もったいない、というか、ありえない……」くらいのことをいわれます、それも中国人にまで。
今の中国でも安定した公務員は人気なのです。
思い切った転職の動機の一つは2011年の東日本大震災。
盤石のように見えた日本社会が、そうでもないと感じました。
安定している公務員の地位も思いのほか、もろいのかもしれないとも思ったのです。
そこに家庭内の問題も絡まっていました。
「思い切って、安定よりもやりたいことを優先した方がいいのかも」そう思いました。
以前から外国語は好きだったので「人生1回くらい海外で暮らしてみたい」そういう思いを心のどこかで抱いていました。
でも20代のときに何回か機会があったのに結局いつも安定を優先してきました。
なんとなく悔いが残りました。
人が死ぬときに一番後悔するのは何かで失敗したことというより
何かをやらなかったことだといいます。
だからもう「今飛び込まなければチャンスは2度とない!」
とそれこそ清水の舞台から飛び降りたのです。
さてその結果はどうだったでしょうか?
そこには公務員のときには想像もしていなかった世界が広がっていました。
会社との雇用契約は基本1年ごとでしたがそれを継続しながら長く働いている外国人も多いのです。
中国に行く前には、知り合いにこういわれました。
「お給料をもらって留学したと思えばいいんじゃない?」
行ってみたら、まさにそういう感じでした。
メインの仕事は文章を書くことや校正することそれに翻訳を直すことでしたが
公務員の傍ら、好きでそういうことをやってきたのがとても役立ちました。
もっとも日本の雑誌編集部で要求されることに比べたらおままごとみたいなものだと思います。
日本に戻ってきたからそういう分野で働けるかというと……う~ん。
冷汗が出てきます。たぶん、無理でしょう。
つまり、よかったのはまったく新しい世界が広がった
自由に働くことができた
好きでやってきたことが生かせた……
このくらいでしょうか?
よくなかったのはもちろん中国の会社でしたから給料が減ったことです。
だいたい月1万元、円換算で15万円くらい。
北京の物価は東京よりも安いですが家賃は私がいる間にかなり接近してきました。
私は日本の家族に送金する必要がなかったので大いに助かりました。
中国の国営雑誌社でしたのでときに政府の提灯持ちの記事を書かないといけませんでした。
これもあまり愉快なことではありません。
でも日本の役所や企業でも建前はあるものです。「まったく、しょうがないよねえ」中国人の同僚と目配せをして、ため息をついたものです。
もちろん中国の習慣や中国語に慣れるのは大変でしたが、私にとっては「お給料をもらいながらの留学」でしたからそれほど苦にはなりませんでした。
「中国だと日本人はいじめられるんじゃないか?」こういう危惧を持つ方ももちろんいるでしょう。
確かに私が向こうに渡った2012年には領土問題がこじれて上海などでは日本人が殴られたり、日系スーパーが襲われたり……。
ただ私がいた北京ではそういうことは皆無でした。6年間で、日本だから嫌な思いをしたことはまったくなかったとはいいません。
でも日本にいて思っているほどではありませんでした。
「政府は政府、民衆は民衆さ。ぼくらは民衆だから関係ないよ」よく中国の友人はこういってくれました。
転職すると同じ日本国内であっても大なり小なり新しい職場の、自分には新しい文化に自分を慣らせる必要があります。その転職先が外国だったということは当時は意識していませんでしたが私はある意味で究極の転職をしたことになります。
私はとりあえず2018年3月に日本に帰ってきました。
実は帰ってきた目的がありました。
それは日本語教師の資格を取ることです。
中国には日本語を勉強している人がたくさんいます。何らかの学習機関で日本語を学んでいる人数は中国が世界一です(国際交流基金「2015年海外日本語教育機関調査」)。
日本人と見ると 「ちょっと日本語教えて!」といわれます。
指定された学校で420時間の授業や実習をすれば資格を取得できます。
「これがあればまた中国に行ける!他の国にも行ける!」仰天で究極の転職をしたいけど何の技術も経験もないという人は日本語教師は穴場です。
いずれにしてももっとたくさんに人に海外で活躍してほしいと願っています。